二次創作するのが苦手です
どうも、ながさきです。
進撃の巨人の最終巻を読んで以来、ずっと進撃の巨人のことばっかり考えています。色々と不満な点もありつつ、大好きな作品であり、今後も創作活動に関連して幾度となく思い出すのだろうなと感じる作品です。
で、それに関連してなんですが、僕は二次創作の話を考えたりはしないんですよね。ファンアートを描いたりすることはありますが、話は書かないですし考えもしないです。
話を考えること自体が嫌いなのかと言われればそんなことはなく、むしろ好きな方です。一次創作の小説や漫画はけっこう作ってきましたし、ゲーム制作においてもストーリーを考えるのは楽しいです。
僕はその理由について昔から疑問を持っていたのですが、単純に「0から1を作り出す作業の方が好きなんだな〜きっと」くらいの認識でいました。
でもそれは、多分違うなーと。
二次創作をする人間としない人間の違いは、作る方への意識ではなく、作品をどう受け止めるか、という違いから出てくるものなんじゃないかと思ったわけです。
僕は二次創作はしませんが、一つ一つの物語に対する思い入れが浅いわけではないと思っています。
むしろ一度味わった物語を頭の中で何度も何度も反芻して、その完成度がどんな要素によって生まれているのか、作者の意図は何を伝えることにあったのか……といったことを考えるのは大好きです。
でも、その他や、その先を考えることはほとんどしません。
じゃあ二次創作する人の方が深く物語について思考を巡らせてるの?というと、そうでもない気がするんですよねー。単に受け止め方の違いな気がするんです。
ここからはただの憶測、ですらなく、妄想ですが。
二次創作をする人は、物語を自分の身体で受け止めてるんですよね。一体化している。だから自分の手足とくっついている創作上の物語を、自分の意思に合わせて変形させる思考が働く。
でも僕は受け止めた物語を箱に閉じ込めて、その出来の良さに感心しながら分解・再構築を繰り返し、構造を確かめているのだと思います。
上手く理屈で説明できないので抽象的な表現に逃げましたが、そんな感じだと思います。
あんまり関係ないですが僕はアイドルマスター関連のコンテンツにあまりハマれません。キャラが魅力的なので何度か触ったことはありますが、あれは二次創作タイプの人が触れるべきコンテンツだなーと感じます。僕がデレマスやシャニマスをプレイすると、なんだか身体の一部分が欠けているような違和感に襲われるんですよね。
でもアイドルマスター関連の二次創作に触れると、尋常じゃないくらいキャラクターに対する解像度の高い人々がいることに気付かされます。彼らは原作に自分の肉を融合させてピクセル数を倍増させているのでしょう。
人種が違うなあ、と思わされます。
断っておきますが、善し悪しの話ではないです。種類の話なので。
では今回はこの辺で。